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プライムパーソン

VOL.211 2017年2月16日

地域の宝物 中津万象園を後世へ 富士建設 社長 眞鍋 雅彦さん

太鼓橋「邀月橋(ようげつばし)」を背に。邀月とは月を迎えるという意味=丸亀市中津町の中津万象園

江戸時代、丸亀藩主京極家が築庭した中津万象園。松の緑や真っ赤な太鼓橋が美しい回遊式の大名庭園で、かやぶきの「観潮楼」は現存する日本最古の煎茶室と言われている。

地元が誇る名勝だが、庭園を管理している中津万象園保勝会理事長で、富士建設社長の眞鍋雅彦さん(69)は「開園以来、毎年数千万円単位の赤字続き」と打ち明ける。

松の手入れなど庭園の維持整備には最低でも年間5000万円が必要だが、入園料や丸亀市からの補助金だけではとても賄いきれない。「魅力を高めて、とにかく一人でも多くのファンをつくらなければなりません」

亡き父が購入した庭園を「もう手放してしまいたい」と何度も思ったが、踏みとどまった。そこには、「地域の宝物」を受け継いでいくという使命と、かつて太鼓橋の上で交わした父との約束があった。

「わしが死んだら、売るのか?」

守り続ける以上は ベストを尽くしたい

「父は商売とは関係なく、純粋に庭園や美術品が好きな人でした」

1970年、旧三豊郡詫間町の建設業、富士建設の創業者で先代社長だった父・利光さんが、中津万象園を民間の所有者から買い取った。庭園は手入れされておらず荒れ果てていたが、12年掛かりで修復。美術館も併設し、82年に開園した。「当時の日本経済は右肩上がりの成長期。建設業が好調で庭園を持つチャンスがあったんですね」

中津万象園と言えば、1500本を超える美しい松が見どころの一つ。しかし、この規模の松を維持するとなると、「職人10人で整備しても1年掛かると言われます」

入園者数は開園以来、年間3~4万人ほど。瀬戸大橋開通時には最多の16万人を記録したが、それでも黒字にはならなかった。「松というのは手を入れるとものすごくきれいになるが、手を抜けばすぐ傷んでしまう。庭園を生かすには松を手入れする以外ないんです」

父は私財を切り崩しながらも庭園を持ち続けた。眞鍋さんも右腕として、庭園の運営や本業の建設業を支えていた。開園から10年が過ぎたある日、突然父に呼び出され、庭園のシンボル、真っ赤な太鼓橋の上で問いただされた。

「お前、わしが死んだら、この庭園を売ろうと思っているのと違うか?」

当時父は64歳で、体調を崩していた。眞鍋さんは振り返る。「父親にそんなことを聞かれて、『はい、売ります』とは言えません。『頑張って守るから心配しなくていい』と答えたんです」。父はそれから半年余りで亡くなった。「そう答えてしまったんですから仕方ありません。決して破ることができない、父との最後の約束です」

しかし、庭園を持ち続けるにしても無い袖は振れない。眞鍋さんは、父があまり積極的でなかった入園者を増やす試みに次々と着手した。

地域に溶け込んで

瀬戸内圏には数々の大名庭園がある。高松藩主松平家の栗林公園、岡山藩主池田家の後楽園、広島藩主浅野家の縮景園・・・眞鍋さんは「瀬戸内海大名庭園8カ所巡り」と題したツアーを企画。8庭園で基金をつくり、観光マップの作成や旅行代理店への売り込みに奔走した。「栗林公園や後楽園と、中津万象園では『格が違う』という声もありました。でも、そんなことはない。香川の松平家と京極家でどっちがどっちという話はない。一緒に盛り上げていこうと説得して回りました」

丸亀城と万象園をセットで巡ってもらえるよう丸亀市とも連携した。富士建設の社員に迷惑は掛けられないと、新たな運営組織として公益財団法人中津万象園保勝会を創設。賛助会員を募って会費や寄付を運営費に充て、同伴者の入園無料や園内にある食事処の割引、会員限定の月見会開催などの会員特典で入会をPRした。しかし、「会員数は1000人が目標ですが、まだ350人ほど。もっと魅力づくりが必要です」

あの手この手と策を講じても、なかなか赤字は解消しなかった。「逃げ出したい」と思ったことは数え切れない。「結婚式場にしたい」「庭園の大きな池と小島を利用してゴルフのミニコースを作りたい」など売却を持ち掛けてくる企業もあった。「もう頑張らずにすっきりしたらええんちゃうかとよく言われるんです。でも、いつの間にか自分自身に『やりたい』という思いが生まれていました。せっかくここまでつくり上げてきたのに、お金だけでポ~ンというのはできませんわ」

たまにお客さんの後ろについて園内を歩くことがある。「よく手入れをしている」「他の庭園よりきれいだなあ」・・・・・・そんな声を聞くと、「頑張ってきたかいがあったと本当にうれしく感じます」

夏には園内の野外ステージで映画上映会を開き、周辺地域の親子を無料で招待している。「庭園を続けていくには、いかに地域に溶け込んでいくかが最も重要だと思います」。眞鍋さんは力を込める。

庭園の在るべき姿とは

大学卒業後、ゼネコンのフジタで2年間修業し、1971年、家業を継ぐためUターンした。

富士建設が手掛けた五台山竹林寺の五重塔=高知市
富士建設が手掛けた五台山
竹林寺の五重塔=高知市

富士建設は県内を中心に、住宅、マンション、商業施設や医療・福祉施設など様々な建築物を手掛けているが、得意分野の一つに寺社仏閣がある。高知の五台山竹林寺や茨城の法鷲院で五重塔を建立するなど、全国的にも少ない特殊技術を持つ建設会社だ。「寺や神社は何百年と受け継がれる上、人が手を合わせてくれる建物です。建設業者冥利に尽きる一大仕事ですね」

眞鍋さんには持論がある。「会社というのは変化が必要で、30年くらいで体制を変えないと持たないと思う。父は建設業を30年やったが、『いつ仕事がなくなるか不安で仕方ない』とよく話していた。実際、業界の状況は当時とは大きく変わりました」

会社を引き継いで以降、眞鍋さんは新たにテナント業を立ち上げた他、5年前にはグループの持ち株会社富士ホールディングを設立、クラウドファンディング事業などにも乗り出している。

中津万象園は今年、開園35周年を迎える。「体制を変えなければいけない」。そう考えた眞鍋さんは大改革に踏み切った。

日本最古の煎茶室「観潮楼」や母屋のかやぶき屋根をふき替え、植栽も植え替えた。台風による倒木で傷んでいた樹齢600年、直径15メートルの大傘松の修繕など園内を全面改修した。さらに丸亀の伝統工芸品「うちわ」の展示室を新設した他、庭園と瀬戸内海の両方が展望できる交流サロンも整備した。「正直、大変なものに手を出しているという思いは今でもあります。でも、地域が誇るこの庭園を守り続ける以上はベストを尽くしたい。地元の人たちにも喜んでもらいたいんです」

修復を終えた「観潮楼」(右は室内)
修復を終えた「観潮楼」(右は室内)

大きく姿を変えた中津万象園は4月にリニューアルオープンする。「一人でも多くの人に庭園を巡ってもらい、歴史や文化に触れてほしい。そしてこの機会に、次の30年の庭園の在るべき姿を私も探っていこうと思っています」

編集長 篠原 正樹

まなべ まさひこ

  • 1947年 旧三豊郡詫間町生まれ
  • 1969年 日本大学生産工学部 卒業
    フジタ 入社
  • 1971年 富士建設 入社
  • 1972年 常務取締役
  • 1992年 代表取締役

富士建設株式会社

所在地
三豊市詫間町詫間300-1
TEL:0875-83-2588
FAX:0875-83-5864
設立 1952年9月26日
資本金 8200万円
事業内容 建設事業
関連会社 富士ホールディング(株)
フジ観光プラットフォーム(株)
(公財)中津万象園保勝会
フジ開発(株) 他
地図
URL http://www.fujikensetsu.jp/

中津万象園

所在地
丸亀市中津町25-1
TEL:0877-23-6326
FAX:0877-23-6379
沿革 1688年(貞享5年)丸亀二代目藩主・京極高豊により中津別館として築庭
1982年8月1日開園
開園時間 9時30分~17時(水曜定休)
地図
URL http://www.bansyouen.com/

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讃岐を歩く

高松市サンポートを歩く。海沿いの広場で出迎えてくれるのは、スナメリのベンチ。なんとも愛らしい表情で、心も体も癒やされる。

Photo:T.Nakamura

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