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さぬき美探訪

VOL.212 2017年3月2日

«羊 置物»1928年 東京国立近代美術館蔵
 

大正末から戦前日本の工芸界にあって、激しく動いた時期の最も代表的な作家の一人が高松出身の金工家、北原千鹿(せんろく)(1887~1951)です。

北原千鹿(本名・千禄)は1887年、愛媛県香川郡高松旅籠町(現・高松市中央町)に生まれました。1906年に香川県工芸学校(現・高松工芸高校)金属彫刻科を卒業後、東京美術学校金工科に進み、海野勝珉(うんのしょうみん)、海野美盛(びせい)らに伝統的な彫金技法を学びました。

1916年からは東京府立工芸学校で教鞭をとり、後に工芸界をリードすることとなる信田洋(のぶたよう)、村越道守、田村泰二、深瀬嘉臣(よしおみ)らを輩出しました。しかし、1921年には退職して制作に専念し、翌年には平和記念東京博覧会に«散華(さんげ)衝立»を出品し、銀賞を受賞しています。

また、津田信夫(しのぶ)がフランスから帰国すると、高村豊周(とよちか)、佐々木象堂(しょうどう)、山本安曇(あずみ)、杉田禾堂(かどう)らと研究会を始めますが、これを母体として1926年、高村らと「无型(むけい)」を結成、伝統の旧弊を打破し新時代の工芸を目指した彼らの活動は、昭和初期の旧態依然としていた工芸界に新風を吹き込みました。また1927年には、同郷の大須賀喬(たかし)や鴨政雄をはじめ北原の弟子を中心とした若手金工家の集まりである「工人社(こうじんしゃ)」を発足させ、時代に生きる自由な工芸を掲げ活動を展開しました。

1927年、帝展に念願の工芸部門が新たに加わると、千鹿は第8回帝展に«置物花の折枝(おりえだ)»を出品し特選となり、翌年も«羊 置物(ひつじおきもの)»で連続して特選を受賞、板金を用いた斬新な作風によりその地位を確立しました。このたび、市美術館で千鹿を回顧する初の展覧会を開催します。その初期から晩年に至る代表作や、貴重な下図等、約80点から主な作品2点を紹介しましょう。

«鹿文金彩花瓶»1936年 高松市美術館蔵

1928年開催の第9回帝展で特選となった«羊 置物»は、銀の板金をまるで紙細工のように切り込んで器用に組み合わせ、金属の鋲で留め、立体的な造形を完成させています。また、羊の体を覆う長い羊毛は、板金の端に無造作に入れた切り込みで表現されています。1936年開催の文展招待展の«鹿文金彩花瓶(しかもんきんさいかびん)»では、銀材打ち出しの花瓶を器胎とし、内側からは打ち出しによって秋の七草や鹿たちを写生風に表現しています。また、表側からは千鹿独自の考案による毛彫(けぼ)りを施した後、器胎全体に金彩を施しており、躍動感あふれる作品に仕上げています。

千鹿の幅広い表現方法は、昭和初期の金工界に新風を吹き込みましたが、卓抜な彫金技法と豊かな造形感覚は今日でも色あせません。

ぜひ千鹿の作品をご覧いただきたいと思います。

高松市美術館 学芸員 川西 弘一

モダニズムの金工家 北原千鹿

【とき】 3月26日(日)まで〈20日(月・祝)開館、21日(火)休館〉
【ところ】 高松市美術館(高松市紺屋町10-4)
【入館料】 一般800円、大学生500円、高校生以下無料
地図

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さぬき美探訪とは

美術館や博物館の学芸員と野菜ソムリエが香川が誇る「美」と「味」をご紹介します。



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