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特選話

VOL.217 2017年5月18日

多度津町にある
景山甚右衛門の胸像

この4月から「四国まんなか千年ものがたり」と銘打って、JR四国が多度津~大歩危間で観光列車の運行を始めました。香川県で最初に鉄道が敷かれたのは、今から128年前の明治22年(1889)、多度津を起点とする琴平~丸亀間です。多度津の景山甚右衛門ほか17名が讃岐鉄道株式会社を設立し、金毘羅参詣客をあてこんで建設したものです。わが国で初めて鉄道が開通してから17年後、全国では9番目、四国では松山の伊予鉄道に遅れること7カ月で2番目でした。


甚右衛門は、幕末の安政2年(1855)に、多度津の回船問屋大隈屋の5代目として生まれました。若い頃、自家の千石船に乗って上京したとき、新橋~横浜間を走る汽車を目にし、讃岐に鉄道を開設する決意をします。明治18年、29歳のときに計画し、4年かかって開通させました。開通時の機関車はドイツのホーエンツォレルン社製のタンクで、客車はマッチ箱のような型をしていました。貨客4両編成で、上、中、下等の3ランクに分かれ、今とは逆に琴平行きが上りになっていました。後には食堂車も走らせ、袴をつけた「女ボーイ」が給仕をしたそうです。

JR多度津駅前のモニュメント

高松~丸亀間において鉄道が開通したのは明治30年のことで、当時の高松駅は現在の県立盲学校の場所にありました。讃岐鉄道の路線はその後国鉄に移管されたことから、多度津が四国の鉄道発祥の地とされています。明治43年には、岡山~宇野間が開通するとともに、宇高連絡船が開航し、ここから、高松の四国の玄関としての歴史が始まります。

奇しくも、香川の最初の路線で、百数十年後に観光列車の運行が始まったわけですが、当時と比べ、風景も宅地化の進展により大きく変容したと思われます。しかし、車窓から見える象頭山など讃岐の山々は昔と同じ姿をしており、観光列車に乗って山々を眺めていると、千年の悠久の時の流れに思いを馳せることができるかもしれません。

香川県中小企業団体中央会
専務理事 村井 眞明さん

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特選話とは

知られざる香川の歴史や文化などについて、思わず「へぇ~」と言ってしまうようなとっておきの話を村井眞明さんにご紹介していただきます。



讃岐を歩く

まんのう町塩入を歩く。甘柿であろうと渋柿であろうとも、柿色は目に鮮やかだ。二十四節気の「大雪」を迎え、そろそろ柿の季節も終わる。

Photo:T.Nakamura

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