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特別取材

VOL.222 2017年8月3日

本当にいいリハビリとは何か-。

この答えを求め続けている医師がいます。

整形外科医としての経験を生かして通所リハビリテーションやグループホームなどの施設を開設してきた栗 光弘さん。

人によって老化の程度も精神の状態も千差万別という中で、

ほとんどの人に有効な“最大公約数のリハビリ”があるのではないか-。

試行錯誤を続けてきた栗先生の集大成ともいえる施設が、2017年8月に完成しました。

導き出した理想のリハビリが、今ここで実現しようとしています。

医学生の時、教授が言った「老化は治らない」という言葉を今でも覚えている。人は誰もが老いていくからそれは当たり前だと思う一方で、あらゆる病気に対して解決策を求めていた当時の自分にとっては割り切れない思いもあった。医者が「年のせいだから仕方ない」とあきらめていいのか、そう思い続けてきた。老化は止められなくても、スピードを遅らせるためにリハビリで何かできるはずだ。その答えを求めて試行錯誤が始まる。

悩んだのは医療と介護の違い。医療の世界では、疾病やケガごとにそれぞれ病名があり、それに対して治療法がある。リハビリも医師や看護師、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士がチームになって対応、病気が治れば治療も終わる。しかし介護には終わりがない。また、老化の程度は千差万別で、特に認知症やその他の精神状態の違いは複雑だ。にもかかわらず、介護保険の枠組みの中では「老化」ということでひとくくりにされる。医療と比べて、リハビリにかけられる人員や時間、コストも制限されている。

そんな限られた条件の中で、いいリハビリをするにはどうすればいいのか-。行きついたのはさまざまな老いの状態に対して有効な“最大公約数のリハビリ”を目指すことだった。「これさえやればほとんどの人をカバーできるリハビリ方法があるはずだ、と思いました」

最大公約数のリハビリを模索するため、各施設の利用者を対象に2012年から「くりのみリハビリ教室」を始めた。そこでまずは、足こぎ車いすを使って施設の近くを走行した。歩けない人、立てない人、半身に麻痺がある人・・・さまざまな状態の人が足こぎ車いすなら楽に動けたと言う。「危ないから外に出ないように、と言うことは結果的に高齢者の行動力や社会とのつながりを奪うことになる」。行きたいところに自分で行くことができるという達成感は何にも代えがたい喜び、生きている実感となる。

老化とは身体機能だけではなく、心も衰えていくこと。それは社会とのつながりが減り、孤独感が増していくことが原因となる。そこで、リハビリ教室では一緒に参加する人を“同級生”と定義。その人数を、ケアが行き届き、かつ社会性が生まれる15~20人に制限して6項目のリハビリを行った。ここでは、足こぎ車いすで進んだ距離を競い合い、大きな声を出してともに歌う。いすに座ったままできるグラウンドゴルフやペタンクで真剣に試合をする。おやつの時間にはスタッフも一緒に食べて井戸端会議。「一人ではできないことも仲間がいるとできる。高齢者のリハビリは楽しくなければ続かないんです」。仲間と遊んで元気になれる、自分から行きたいと思えるリハビリ―目指すべき理想的な形が見えてきた。

5年間続けたリハビリ教室での経験から、手応えをつかんでいた。足こぎ車いすの走行距離やグラウンドゴルフの点数を発表し、仲間と競争することで気持ちの張りや意欲が生まれるのだ。「マッサージ=リハビリ」だと思っていた人が自ら足こぎ車いすに乗り、坂道を登れるようになる。声をかけても無表情だった人が笑顔で手を振ってくれる。そんな姿を見ると涙が出るほど嬉しかった。何より「この方法だ!」と確信できた。

新しく開設した「デイケアひかり2」は、今までリハビリ教室でやってきたことを数十人規模に広げて実践しようとしている。「大変なこともあると思いますが、これが自分の最後の仕事だと思い、スタッフと一緒に突き進んでいきたい」。そこには、医師としての使命をひたむきに追求する姿がある。

  • 1937年 坂出市生まれ
  • 1956年 坂出高校卒業
  • 1962年 徳島大学医学部卒業
    高知赤十字病院、愛媛県立三島病院等を経て、
    1977年6月栗整形外科開院
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