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プライムパーソン

VOL.224 2017年9月7日

瀬戸内海が一望できる琴弾廻廊の露天風呂=観音寺市有明町

観音寺市の温泉施設「琴弾廻廊」で、焼けただれたレンガが展示されている。広島県産業奨励館(現在の原爆ドーム)の建物の一部に使われていた“被爆レンガ”だ。広島大学の学生らでつくる原爆瓦発送之会がドーム前を流れる元安川から回収。刻印などを調べたところ、100年以上前に讃岐煉瓦がつくったレンガだと判明した。「悲惨な戦争を風化させてはいけない。多くの人に見てもらい、あの時何が起こったのか、もう一度思い巡らせてもらえればと思っています」。讃岐煉瓦の川崎隆三郎社長(55)はこう話す。

原爆ドーム近くで見つかった
讃岐煉瓦製の「被爆レンガ」

讃岐煉瓦は、明治30(1897)年にレンガ製造業として観音寺市で創業。120年間、「讃岐煉瓦」と名乗っているが、1994年以降、レンガ事業は一切行っていない。時代とともに会社は姿かたちを変え、現在は琴弾廻廊と観音寺自動車学校の運営、不動産賃貸・販売が事業の軸だ。「市場に必要とされる商売かどうかというところで選択し、伸びると思った事業に集中した結果です」

祖父、父から会社を引き継いだ川崎さんは、伝統を重んじながらも「選択と集中」の精神で、これからも決して変化をいとわないと強い口調で語る。

露天風呂から瀬戸内海を一望できる観音寺市有数の人気スポット「琴弾廻廊」。先代の父・通義さんから事業を引き継いだ2008年、利用客は伸び悩んでいた。「リーマンショックで物価も所得も上がらないデフレスパイラル。そんな中、レジャーにお金をかけられますか、という状況でした」

川崎さんは、950円だった入湯料を650円に下げ、さらに安く利用できる月額2000円程度の会員券や、ペア割引券をつくった。「家でお風呂を沸かすよりも得ですよとPRし、まずは温泉に来てもらおうという策を講じました」。“安・近・短”へと向かっていた世の中のレジャー志向ともマッチし、客足は持ち直した。

自動車学校はさらに深刻だった。少子化の影響をもろに受け、業界全体が苦戦を強いられている中、川崎さんは新たな戦略を仕掛けた。それまで地元中心だったターゲットを県外に向けた画期的な試みだった。「琴弾廻廊を活用しようという、実弟の川崎善之専務のアイデアでした。運転教習を観光やレジャー感覚で来てもらおうと思ったんです」

観音寺自動車学校=観音寺市出作町

教習で疲れた体と心を温泉で癒やし、夏にはすぐ目の前の瀬戸内海で海水浴もできる。地域の観光資源も生かした約2週間の免許取得合宿を業者と組んでパック商品にし、全国へ売り出した。「温泉付きの運転教習というのはあまりないので、そこがうけたんだと思います」。教習生は学生を中心に北は北海道から南は沖縄まで、この5年間で倍増した。「今では全体の85%を県外客が占めています」。地元の観光客誘致にも少しは貢献できているのでは、と川崎さんは目を細める。

常に変化に挑んできた。そのルーツは家系にあると話す。

昭和30年代、観音寺市でうどん店や薬の卸業など様々な事業を手掛けていた祖父・善三郎さんが、資産を投じて讃岐煉瓦を買収。レンガ事業に並行して、自動車学校や建築資材の卸会社をつくるなど多角経営に乗り出した。「当時はレンガの需要がどんどん落ちていた。レンガ事業の将来を考えてのことだったと思います」

祖父からバトンを受けた父も、温泉施設の建設・運営の他、地元生コン会社の讃和生コンクリートを買収するなどチャレンジ精神旺盛だった。「父は人には絶対に弱みを見せなかった。がいな(強情な)ところもあるが気の優しい、とても人間らしい人でしたね」

川崎さんは大学卒業後、取引先の生コン会社で3年間修業したのち、1988年に讃岐煉瓦と讃和生コンに入社。レンガ製造から撤退し、新規事業へと舵を切っていく父を右腕として支えていた。「自動車学校の総務も建築資材の営業もやった。とにかく何でもやりました」

社長交代は突然だった。2008年、川崎さんが20年程前の交通事故で傷めた股関節の手術を受け長期入院していた時、父が倒れた。「私の体も満足に動かない中、父が亡くなった。あの時は本当に地獄を見ました」。十分な引き継ぎもできないまま社長になり、松葉杖をついて出社した。「実は当時は多額の借金もあり、資金繰りで先が見えない状態でした」

父が繰り返していた教えがあった。「自分で考えろ。考えて考えて考え抜いて、正しいと思ったことを自信を持って実行しろ」

川崎さんは会社を立て直すための5カ年計画をつくり、「選択と集中」を掲げた。当時、讃岐煉瓦本体の下に、建材、生コン、化成などのグループ会社があったが、吸収合併や売却で組織をスリムにした。「限られた会社のパワーを伸ばせるところに集中させ、売上よりも収益性を重視しました」

社長を引き継いでまもなく10年になる。父が亡くなった直後に始めた分譲地販売事業も好調で、何とか会社を軌道修正した。だが、「社員や家族を路頭に迷わせてしまうというプレッシャーを父は一人で背負っていた。私はそんな苦労も知らず生きていたのかと改めて感じますね」

毎朝、仏壇に手を合わせる。「こんなことがあったよ」と報告する日もあれば、「これでええんかなあ」と相談する日もある。でも、父の答えはいつも決まっているそうだ。「お前が考え抜いて、思ったようにやれと。ただそれだけです」。川崎さんは笑顔で話す。

学生時代に始めたサーフィンが趣味で、今も時間ができれば海へ向かう。「右足を人工股関節に置換しているので、医者にはやめておけと言われます。波に飲まれて死にそうになったこともありますが・・・・・・でも、やっぱりやめられません」。波に乗る爽快感や達成感も魅力だが、それ以上に自然から学ぶことが多いという。「トレーニングを怠らず、万全な準備をしていないと怖い。自分に自信が持てないと波に向かっていけません。これはビジネスでも何にでも通ずることだと思う。真摯に向き合わないといけませんね」

現在レンガ事業はしていないが、これからも「讃岐煉瓦」の社名は変えたくないと話す。「地元ならまだしも、東京や大阪で名刺を出すと、『ああ、レンガ屋さんね』と言われて今の事業の説明が要るので、正直面倒くさいんです」と笑いながらも、こう続ける。「広島で100年前のレンガが見つかった時、戦争の悲惨さを実感したと同時に、先人がしっかりと商売をされていたことに感動しました。その歴史も守っていかなければと思います」

経営者の家庭に生まれ育ち、「このまま家を継ぐ人生でいいのか」と悩んだこともある。そんな時、父に「お前に渡すのはレンガ屋でも生コン屋でもない。会社というシステムと信用だ。将来はお前が新しく考えればいいんだ」と言われ、腹が決まった。

今年が最終年となる5カ年計画では予算を上回る実績をあげた。次の5カ年でさらに足腰を鍛え、もっと筋肉質な会社にしたいと川崎さんは話す。「自動車学校について言えば、AIによる車の自動運転など車社会が大きく変わりつつある。変化していく社会に対応できるようにしていかなければなりません」。そして、こう続ける。「生き残るのは、強いものでも賢いものでもない。変化できるものだと私は思うんです」

篠原 正樹

  • 1962年 観音寺市生まれ
  • 1981年 観音寺第一高校 卒業
  • 1985年 東京国際大学商学部 卒業
    関東宇部コンクリート工業 入社
  • 1988年 讃岐煉瓦、讃和生コンクリート 入社
  • 2008年 讃岐煉瓦 代表取締役社長
    讃和生コンクリート 代表取締役社長

所在地
観音寺市有明町6-6
TEL.0875・25・2111/FAX.0875・25・2282
設立 1897年6月17日
事業内容 観音寺自動車学校
温泉施設「琴弾廻廊」運営、
不動産賃貸・販売(ナチュレ有明)他
関連会社 讃和生コンクリート株式会社
地図

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讃岐を歩く

寒霞渓と並ぶ小豆島の景勝地、銚子渓。この渓谷にある「自然動物園 お猿の国」では、約500匹の猿が戯れる。子猿の愛くるしい表情がなんとも言えない。冬の風物詩「猿団子」も見ものだ。

Photo:T.Nakamura

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