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特選話

VOL.227 2017年10月19日

紫雲山親量院霊源寺
(高松市亀岡町)

安土桃山から江戸時代初めにかけて讃岐一国約17万石を領有した生駒氏の治世は、四代約50年で終わりを告げます。その後、江戸幕府3代将軍徳川家光から松平頼重(よりしげ)が東讃岐12万石を与えられます。

頼重の父は、徳川家康の11男の頼房(よりふさ)で、御三家の一つ水戸藩の初代藩主です。その2代目がテレビ時代劇でお馴染みの水戸黄門こと徳川光圀です。つまり、頼重と光圀は兄弟です。生母も同じ人で名を久といい、頼重が長男、光圀は三男です。

なぜ、弟が水戸藩を継いだのかというと、お久の方が頼重を身ごもった時、頼房の兄に当たる尾張・紀伊両家にはまだ嫡男が生まれておらず、兄に遠慮した頼房は出産を認めようとしませんでした。しかし、家康の側室で頼房の養母である英勝院の計らいで頼重が誕生し、隠し子として公家に預けられました。やがて兄にも子が生まれ、その後に光圀が生まれたことから、光圀を嫡男として幕府に届け出たということです。

頼重は京都の寺で育ち、出家するはずでしたが、英勝院の後押しもあり、常陸国下館5万石の大名に取り立てられ、その後東讃岐に移封されて、水戸連枝親藩として高松藩が成立します。紀伊・尾張連枝各藩が2~3万石であるのに比べ破格で、これは、家光が本来長男でありながら水戸藩主になれなかった頼重を気にかけたためだったといわれています。

しかし、兄を差し置いて水戸藩を継いだ光圀は、そのことを心苦しく思い、兄の子綱条(つなえだ)に水戸藩を、自分の子頼常(よりつね)に高松藩を継がせます。頼常の生母は光圀の側室弥智の方です。

頼重と光圀の生母である久の方は久昌院と号し、頼重は高松でも菩提を弔うために廣昌寺を建立。そして、頼常の生母弥智の方は親量院と号し、高松に引き取られ藩主生母として20年住んだ後、霊源寺に葬られました。

お二人の墓に詣でれば、高松藩創始の頃に思い巡らすことができるかもしれません。

香川県中小企業団体中央会
専務理事 村井 眞明さん
多度津町出身。丸亀高校、京都大学卒業後、香川県庁へ入庁。都市計画や観光振興などに携わり、観光交流局長を務めた。

特選話とは

知られざる香川の歴史や文化などについて、思わず「へぇ~」と言ってしまうようなとっておきの話を村井眞明さんにご紹介していただきます。



讃岐を歩く

豊かに稔る

観音寺市大野原町にある豊稔池を歩く。その名は「水不足に苦しむ大野原の農地が、豊かに稔ることを願って」付けられたという。古城のように威風堂々たる堰堤は、国の重要文化財に指定されている。

Photo:T.nakamura

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