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ビジネス香川 -「いま」を伝え、「未来」を育てる-

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瀬戸標 せとしるべ

VOL.232 2018年1月4日

初日を受け三野津湾が白く輝く。三豊市三野町吉津宗吉の海に近い三条山の麓、その東斜面に二十数基の登り窯(瓦窯)が整然と並ぶ。ここは瓦製造の一大生産地。百数十名の瓦づくりの工人が働く。今日は今年初めての火入れの日。粘土をこね、瓦型に成形し、天日で干した後、窯の中に並べ、火をつける。初めに松を、火が起こればクヌギをくべて火勢を上げる。今年は大忙しなのだ。これまでも地元の妙音寺や宝幢寺の瓦の納入実績はあるが、今年からは藤原京の屋根瓦の発注を受けた。うちの親分の丸部臣(わにべのおみ)様が持統天皇から頼まれたのだ。みんな正月から張り切っている。

時は7世紀、飛鳥時代。藤原京は西暦694年に完成した日本初の中国式の都だ。藤原宮とよばれる宮殿や塀が初めて瓦葺になった。建設には数年間のうちに200万枚以上の瓦が必要になり、和泉や淡路、近江とならび遠く海を隔てた讃岐でも瓦が生産された。大和朝廷は、地方豪族を介して必要物資の調達を行ったが、藤原宮から約200kmも離れたここ吉津宗吉の地に白羽の矢が立ったのだ。背景には既に大量生産が可能な体制が整っていたこと、朝廷とつながりの深い有力な豪族である丸部臣氏がいたためと考えられている。

現在、この地は宗吉瓦窯跡史跡公園として整備されている。初めてこの地に立ったとき胸が躍った。丘の斜面に24基もの瓦窯が並び、17号窯は全長約13mで日本最大級、中央の16号窯は実物大で復元されている。工人たちの息遣いが聞こえるようだ。大規模瓦製造団地や高い技術者集団の在り様もすごいが、瀬戸内海を摂津の難波津へ、そして大和川、飛鳥川を遡り藤原京まで舟で大量の瓦を運んだことも驚きだ。わが国初の本格的な都の建設に我々の先人も参画していたことは讃岐人としての矜持を掻き立てられる。

元文化庁長官の青柳正規氏はかつて講演で、「過去は未来を映す投影機の光源である」とおっしゃった。地域の過去を学び、現在を考え、未来を描くことの大切さをお教えいただいた。今、三豊市立吉津小学校では「宗吉学習」に取り組んでいる。郷土の歴史を学ぶことで、子どもたちはどのような未来を描いていくのだろう。文化遺産には実に多くの事を教えられる。

香川県教育委員会 教育長 工代 祐司

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瀬戸標とは

香川経済界のキーパーソンがあらゆる視点から産業や文化、「いま」と「未来」などを語ります。



讃岐を歩く

標高375メートルの五剣山。その8合目に四国霊場第85番札所の八栗寺がある。レトロな姿が愛らしい、八栗寺に向かうケーブルカー。新年の決意を抱き輝く人々をのせて走る

Photo:T.Nakamura

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